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的山荘


 

的山荘を建てた成清博愛と後を継いだ信愛

 成清博愛(なりきよひろえ)は元治元年(1864)、福岡県山門郡瀬高町小川村(現・みやま市)で生まれました。この地で育ち、慶応義塾に進学しますが、体調を崩したため退学を余儀なくされます。小川村へ戻った博愛は政治家を志し、村議会議員を務めその後村長になりました。

 33歳になった博愛は心機一転、炭鉱の経営に乗り出しますが、炭価の暴落など失敗の連続でした。明治36年(1903)の冬、馬上金山鉱区の一部を譲り受けます。放置されていたこの難鉱山の整備に成功し、見事復活させました。大正3年(1914)には日本一の産出量を記録し、金山周辺は栄えていきました。

 その後、博愛は体調を崩し、長男の信愛(のぶえ)が後を継ぎました。信愛は、政治や金融、酒造、交通などの各方面に力を注ぎ大分県に貢献していきました。昭和20年(1945)には県北の交通関係7社をまとめ、大分交通株式会社の初代社長に就任しました。
 
左:成清博愛(1864~1916) 右:成清信愛(1886~1946)

的山荘の歴史

 馬上金山(現・杵築市山香町)での金鉱石の採取成功により、一躍富豪の仲間入りをした成清博愛が大正4年(1915)、日出に建築した邸宅です。木造近代和風建築で細部にまで資材、技法にこだわり、多くの職人を雇い入れ短期間で完成させました。完成当時の敷地面積は3,670坪、邸宅の建坪は247坪です。

 博愛が馬上金山に入山する際、「山を的(あ)てたい」と願いを込めてつけた雅号「的山」を取って、この邸宅は後に「的山荘(てきざんそう)」と呼ばれるようになりました。

 昭和39年(1964)から成清家によって料亭として営業を始め、皇族方もたびたび訪れています。

 平成22年(2010)に所有は日出町に移り、平成23年(2011)から指定管理者によって管理されています。
 
大広間  城下かれい会席
 

国の重要文化財へ

 平成26年(2014)9月18日付にて、的山荘は「旧成清家日出別邸」として、国の重要文化財に指定されることが正式に決まりました。大分県下における国指定重要文化財(建造物)は32件目で、この内「近代和風」と呼ばれる建築様式としては、大分県第1号の指定になります。

 そして何よりも、日出町初の国指定重要文化財が誕生したことになります。

【指定の概要】

[指定名称]  旧成清家日出別邸
[棟  数]  5棟(主屋・東離れ・北離れ・土蔵・正門)
 ※板塀(附) 2棟
 ※宅地 10870・07㎡
[指定基準] 意匠的に優秀なもの
 
建築当時の的山荘  建築当時の大広間
  

的山荘の文化的価値

 的山荘は、別府湾・日出港を広く見渡すことのできる景勝地に、その眺望を活かして建物や庭園が築かれ、その背景には馬上金山の経営との密接な関係がありました。近代の鉱山経営、「職」と「住」が一体となった住まいの環境など、鉱山主の別邸の在り方を考える上で、的山荘は重要な事例です。また、現存する鉱山主の別邸は全国的にも多いとはいえず、九州では希少な事例です。

 的山荘の主屋は、全体を堅実な和風の意匠でまとめ、外観は格式高い入母屋造の屋根を多用し、内部は良材を用いた精緻な造作で仕上げるなど、意匠的に優れています。庭園も、広場や巨大な石灯籠など、近代庭園の特徴をよく示し、別府湾とこれを取り巻く山々を巧みに借景する点は、他に類例がありません。

 的山荘の国重要文化財指定は、成清家並びに日出町の歴史が国の歴史として守られるべきものと認めた証であり、日出町の誇りに他なりません。
 
広大な庭園  庭園から眺める紅葉と別府湾
 

施設情報


[場所]大分県速見郡日出町2663
[電話]0977-72-2321
[営業時間]11:00~22:00(※夜は予約のみ)
[定休日]年中無休
[駐車場]20台 ※工事中につき台数減少中。満車の場合は二の丸館又は町役場駐車場へ。
 
 

関連情報


成清博愛・信愛

的山荘(動画)⇒YouTube

的山荘ホームページ
 
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